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          1.始めに



1.始めに

「戦国策」は、前漢の学者・劉向が紀元前5世紀から秦の中国統一に至る時期に各国で起きた事件や遊説の士達の言動を、国別に編集した書物です。

ただ、時系列通りの記載ではなく、話の前後関係は不鮮明です。近藤光男先生の「戦国策」では、全話五百話余りの中から、百話が掲載されておりますので、それらを極力同じ時代順に並べました。

△印と講談社学芸文庫版の番号を括弧内に記載しており、ご参照頂けます。該当箇所をクリック頂くと、「戦国策」の記載原文がご覧になれます。

「戦国策」の名前に由来し、この時代を戦国時代、と呼びます。

戦国時代は、紀元前四五三年の晉の三家分裂から前二二一年の秦の始皇帝の中国統一の期間です。

齊と秦の両帝時代を境に前半と後半とし、前半では主要な戦い二二回と四六の逸話を、後半では主要な戦い二四回と五四の逸話を眺めていきます。

主要な戦いは終了年順で、その戦名は、戦地名等で「○○之戰」です。○●は勝敗、()内は将軍名等です。

戦国時代の主な国は、戦国七雄という七カ国で、位置関係を図示すると図の通りです。

国土の大小は反映していませんが、戦争の相手方を把握する上で重要です。

戦国七雄配置図

★「箱根の山は~」でも有名な「函谷關」は、渭河と合流する黄河の最後の大屈曲にあり、ここが秦を守る要となる地です。

函谷関1

資料引用:ウィキペディア

函谷関2

資料引用:ウィキペディア

 戦国七雄の位置は、燕は、玄鳥で字に北があり、北京を含む東北部です。

齊は、齊戒沐浴して東海に登る朝日を拝んでいる印象で、楚は東南の灌木が繁茂している印象です。

趙は、北の草原で馬が走っている印象で、中原の魏は字に鬼があり、霊魂が黄色い鬼となり彷徨っている印象です。

秦は、白秋に西方の植物禾を収穫する字面ですし、韓は、楚魏秦の間で日が差す井戸、という印象です。

本文では、燕の樂毅、齊の田單、「戦國の四君」の齊の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君、趙の虞卿、秦の白起、范睢らが登場しますが、その活躍場所も併せて図示致しました。

 また、戦国七雄の首都は、燕が薊(けい)、齊が臨淄(りんし)、楚が郢(えい)後に陳、趙が邯鄲(かんたん)(始皇帝の出身地)、魏が大梁、韓が陽翟(ようやく)、秦が咸陽(かんよう)で、東周は洛邑、(後の洛陽)となりますが、秦の侵攻で、韓、魏、楚は首都を移転、趙は、辛くも邯鄲を守りました。

戦国七雄首都・将軍

★これからの話で、戦いの勝敗、領土の推移が注目されがちですが、背景にある国内事情、対外的駆け引き、人間的要素に目を向けたい、と思います。

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[2.春秋時代         ]

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[1.始めに          ]

[2.春秋時代         ]

[3.三家分裂から魏の興隆と衰退]

[4.縦横家の暗躍と燕楚韓の衰退]

[5.趙・秦・齊から齊・秦二強へ]

[6.秦の進撃、復活燕と齊の攻防]

[7.秦による一強国時代の始まり]

[8.秦の他国併呑と中国統一達成]

[9.「戦国策」資料編     ]



[「戰國策」の時代       ]

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