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        05.簡体字成立の経緯



第五節:簡体字成立の経緯

目次

1.漢字改革の夜明け
2.毛沢東文字改革指示
3.周恩来演説「当前文字改革的任務」
4.文化大革命を経て
5.中国の識字率向上

★参考資料[○○]の部分をクリックして御覧下さい。

1.漢字改革の夜明け

中国は、「漢字の国」と言われますが、過去の中国では、ごく一部の知識人しか漢字の読み書きが出来ず、農民などの多くの人は、文字とは無縁の生活をしていました。

その知識人の多くは、私的には、画数の多い「正字」ではなく、簡略化した字を使うもありましたが、それらは「略字」「俗字」と扱われ、正式の文書などに用いられることはありませんでした。

ところが、アヘン戦争(1842年)での敗戦という手痛い経験で、西洋の近代文明と直面するに及んで、封建社会から脱皮し、近代的国作りをする必要がある、との議論が起こり、そのためには、まず教育の必要である、と一部の識者に叫ばれ、従来は社会的に認められていなかった「俗字」を見直して、民衆に親しみやすい漢字を普及させるべき、との議論が起こりました。

漢字の改革を初めて主張したのは、陸費逵(りくひき)です。

その後の漢字の簡体化の推移は、「簡体化歴史年表」の通りです。

[ 簡体字化歴史年表 ]

2.毛沢東の文字改革指示

1937年~1945年の日中戦争、1946年~1950年の国共内戦を経過し、1949年に中華人民共和国が建国されました。

日中戦争の際の共産党の根拠地(解放区)には、今まで教育を受ける機会に恵まれなかった貧しい家庭出身の兵士、農民が多く、ここでは、「解放字」と言われる簡体字での識字教育が行われ、成果を上げていました。

漢字について、例えば魯迅は、中国語のアルファベット表示運動を支持し、「漢字が滅びなければ、中国は必ずや滅亡する」とまで言っていました。

また、毛沢東も、当初は中国語のアルファベット表示を唱えていました。

その後、1951年の毛沢東による文字改革指示などの経過を経て、1956年の周恩来総理『漢字簡化方案』(簡:汉字简化方案)公布に繋がっていきます。

3.周恩来演説「当前文字改革的任務」

1958年の周恩来の演説「当前文字改革的任務」で3つが述べられています。

「現在の文字改革の課題は、①漢字を簡素化して、②北京語を普及させて、③中国語拼音(ピンイン)計画を策定、実施すること。」としました。

かくして①漢字の簡体化を進め、②中国全土で通用する共通語としての北京語を広めて、③中国のみで通用していた注音符号とは異なるアルファベット表示での拼音(ピンイン)推進を図りました。

[  周恩来:当前文字改革的任務 (一九五八年一月十日)  ] フレーム右サイドノブを上下願います。



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[ 注音符号 ]




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周恩来氏演説の原文にご興味がある方は、以下をクリック願います。

[ 周恩来氏演説:当前文字改革的任务:原文  ]

4.文化大革命を経て

1966年~1977年の文化大革命の時期は、漢字の簡体化が過度に進み、非公認の簡体字が出回ることにもなりました。

しかし、文化大革命終息後、1986年に「簡化字総表」が改めて発表され、1988年に『現代漢語常用字表』が発表されました。

[ 1988年《现代汉语常用字表》(图) ]

5.中国の識字率向上 中華人民共和国以前の中国での識字率は、都市部で20~30%、農村では10~20%前後だった、と言われています。

しかし、簡体字の教育、普及の効果は下記の中国の識字率の推移に見られるように、着実に現われてきました。

更に、注音符号に代わる拼音(ピンイン)の普及により、英語など西欧言語への距離も縮まりました。

「先見の明」なのか、将来を見据えた息の長い教育の大切さを痛感します。

[ 中国:各国の識字率の推移 ]




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[ 0. 教育漢字と簡体字    ]
[ 1. はじめに         ]
[ 2.中国の文字        ]
[ 3.対象とする漢字      ]
[ 4.漢字の成り立ち      ]
[ 5.簡体字成立の経緯     ]
[ 6.簡体化の種類       ]
[ 7.憶えたい簡体字      ]
[ 8.文字の将来        ]
[ 9.資料編          ]
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★[○○]の部分をクリックし、元の画面にお戻り下さい。

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