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   3.諸子百家の概略



第三節:諸子百家の概略

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1.はじめに

 諸子百家ですが、添付のリストと併せてご覧下さい。

これは、資料などで生年が判明した学者、同時代と思われる学者を、時代ごとに並べたリストです。
そして、学者はその所属する学派=百家ごとに分けています。
生年ですので、各学者が実際に活躍した時期は、30~40年以降です。
リスト左端のA~F欄に付した年号(紀元前)は、早い遅いはあれ、学者たちが活動を始めた時期を示しています。
百家を大別すると、春秋時代より広く支持された御三家、儒家、道家、墨家、そして実務的に採用された法家を加えた四家、その他に分かれます。
韓非子はその書「顕学」で、儒家八派、墨家三派と記し、中国統一以前の両者の隆盛を伝えています。

韓非子:顯學「~故孔、墨之後,儒分為八,墨李為三~」

始皇帝の中国統一に貢献したのは法家の考え方です。
始皇帝後、墨家は忽然として消え去り、以降、儒家、道家が永く中国社会に浸透します。



2.諸子10人

まずは、春秋時代の三人の傑物の紹介です。
孔子、老子、墨子,春秋时期的三位人杰,谁更厉害?
Who are more powerful among the three heroes(孔子:老子:墨子) in 春秋時代?

[ 孔子、老子、墨子,春秋时期的三位人杰,谁更厉害? ]

① 孔子(こうし):魯(249年滅)の人。
『仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現』を説いた。
儒家の祖。

[  孔子 ]

② 老子(ろうし):楚(223年滅)の人。道教の祖。
黄帝を始祖とする黄老思想を大成させた。
黄帝(こうてい)(2510~2448)は、神話伝説上、三皇五帝時代の五帝の最初の帝とされ、また、中国医学の始祖とも言われており、現在も多くの漢民族は、黄帝を先祖に仰いでいる。

[ 老子 ]


③ 荘子(そうし):宋(286年滅)の人。道家。
楚の威王から宰相に、と迎えられたが、自由気ままでいたい、と断った。
「無為自然」、「一切斉同」を唱える。恵施との議論は記述されている一方で、知らなかったとは考えにくい同時代の孟子の記述はない。

[ 荘子 ]

④ 墨子(ぼくし):宋(286年滅)の人。
歴史上唯一の農民出身哲学者。墨家の祖。

[ 墨子 ]

⑤ 孟子(もうし):魯(249年滅)の人。
性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。
四端=四つの端緒である「惻隠」「羞悪」「辞譲」「是非」努力して拡充することで、仁・義・礼・智という人間の四つの徳に到達するとし、人間の主体的な努力で社会全体まで統治できるとした(楽観的な人間中心主義)。
同時代の告子、許行の記述がある一方、荘子の記述はなく、互いに敢えて無視していた風もある。

[ 孟子 ]

⑥ 荀子(じゅんし):趙(228年滅)の人。
孔子八派の孫派の出で、儒家。孟子と異なり、「性悪説」をとる。
50歳で初めて齊に遊学。 襄王に仕え、稷下の学士の祭酒(学長)に任ぜられる(最年長)。
秦に行った際に、君子の仁徳ではなく、刑法による支配が行われている、との感想を述べている。
弟子に、秦の中国統一の原動力となった韓非子、李斯がいる。

[ 荀子 ]

⑦ 韓非子(かんぴし):韓(230年滅)の人。
生まれつき重度の吃音であったが、非常に文才に長け、書を認める事に長けていた。
儒家、荀子の元で学び、韓(戦国七雄の最弱国)から隣国の最強国、秦への使者となり、秦王(後の始皇帝:政)と面談した。
王はその著作に感銘し、登用を考えたが、荀子の同門で宰相の李斯の企みで自殺に追い込まれた。

[ 韓非子 ]


⑧ 孫子(そんし):齊(221年滅)の人。
呉の武将。
兵家。兵法書「孫子」を著す。

[ 孫子 ]

⑨ 列子(れっし):鄭(375年滅)の人。道家。
荘子にも記述あり「列子御風而行」。

[ 列子 ]

⑩ 楊朱(ようしゅ):魏(225年滅)の人。
「為我」「貴己」「貴生」を標榜し「快楽主義」的である。墨家の「兼愛」と対立。

[ 楊朱 ]

3.百家十一家

01.陰陽家:陰陽五行説=陰陽+五行(木火土金水)

02.儒家:堯・舜、文武周公の古えの君子の政治を理想の時代とし、徳治主義(武力による覇道ではなくて、徳による王道で天下を治めるべきである)と主張し、『周礼』の保存、仁義の道の実践、上下秩序の弁別を唱えた。
儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えている。

03.墨家:都市の下層技術者集団の連帯を背景にして生まれ、戦国時代に儒家と並ぶ最大勢力となって隆盛したが、秦の中国統一後、消滅した。
博愛主義を説き、また武装防御集団として各地の守城戦で活躍した。
兼愛(ひろくあいする)、非攻(他国への侵攻を否定するが、防衛のための戦争は否定しない。)を唱える。
他に、以下を主張した。尚賢(貴賎を問わず賢者を登用)、尚同(賢者の考えに社会全体が従う)、節用、節葬、非命(宿命論を否定)、非楽(人々を労働から遠ざける舞楽を否定)、天志(上帝(天)を絶対者とし、天意にそむく憎み合いや争いを抑制)、明鬼(善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張)。儒家と対立する面が多い。

毛泽东评价墨子是古代辩证唯物主义大家。

04.法家:徳治主義を説く儒家と異なり、法治主義を説いた。
為政者の恣意によるのではなく、厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという立場。
秦の大国化、中国統一寄与大。

05.名家:道家の一派:公孫龍の著作「名実論」「白馬論」などが現存。 一種の論理学を説いた。
但し、ものの存在と本質を分けるイデア論までに深まることなく、往々にして論理の悪戯、詭弁に陥りがちで、弁論の訓練に使われるだけに終わった。
「白馬非馬論」(白馬は馬に非ず-白馬は『白馬』であって『馬』ではない)は後世、詭弁の代名詞にもなった。
荘子の「天下編」には名家、恵施との問答の記載がある。

06.道家:老子と荘子を合わせて老荘思想とも言う。
老子が大成した黄老思想(こうろうしそう)を発展させたもの。
老荘思想が最上の物とするのは「道」であり、「道」とは「天」またはそれより上位にあるものである。
後代、政争が激化し、高級官僚の保身が困難となる中、積極的に政治に関わろうとする儒教より、世俗から身を引いて保身を図る老荘思想が広く受け入れられた。
二人とも、宋出身で同じ思想的背景にあるが、老子の思想はより多く「処世の智恵であり、現世的な生を問題としている」のに対し、荘子の思想は、「より多く解脱の智恵であり、絶対的な生を問題としている」との評価がある(福永光司氏)。

07.縦横家:外交の策士として各国間を行き来した。

08.雑家:儒家、道家、法家、墨家など諸家の説を百科全書的に取捨、総合、参酌した学派。

09.農家:賢者・王侯も、自ら耕作、炊事を行うべきとする「神農」の教えに従い、国中で偽りをする者をなくし、物価の安定を図る、という農本主義的な主張である。「神農」は五帝の一人で、医療と農耕の知識を古代の人々に広めた、とされている。

10.小説家:故事(世間の出来事、説話など)を語り伝え、書物にして残した。

11.兵家:軍略と政略を説く。

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[    1.はじめに               ]
[    2.諸子百家とその活躍の時代        ]
[    3.諸子百家の概略             ]
[    4.法家と墨家               ]
[    5.韓非子の「五蠹篇」「孤憤篇」      ]
[    6.諸子百家の交流、問答          ]
[    7.稷下の学士               ]
[    8.荀子の性悪説              ]
[    9.資料篇                 ]

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