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    6.秦の進撃、復活燕と齊の攻防



6.秦の進撃、復活燕と齊の攻防(齊滅宋之戰から即墨之戰へ)

BC286年~BC279年

秦の進撃、復活燕と齊の攻防

★前二八六年~前二七九年の戦歴

○齊     ●宋   :齊滅宋之戰
○燕(樂毅)+魏+趙韓+秦+楚 ●齊   :濟西之戰(せいせい)
○秦     ●楚   :黔中之戰(けんちゅう)
○齊     ●燕(樂毅):即墨之戰(そくぼく)

 前半では、燕、齊、楚、趙、魏、韓、秦の戦国七雄のうち、秦と齊の二大強国が、頂点に登りました。

 秦、齊それぞれの動きを、時代を追って見て行きたいと思います。 秦は商鞅を重用した孝公の治世と張儀を重用した恵文王の治世を経て、半世紀超の昭襄王の治世のもとで、他国との戦いを続けます。黔中之戰(二八〇年)で楚に勝ち、その後も勝ち戦を続けていきます。

齊は、齊滅宋之戰(二八六年)で、宋を滅亡させます。

殷の末裔の宋は小国ゆえの悩みで、楚、趙、魏の間で存立に苦慮しました。


[△墨子、楚の宋攻め阻止す(三一):(楚のため雲梯を作り宋を攻めようとした公輸般を理詰めで下し、楚王に会った墨子は、巧みな譬えで、大国の楚が小国宋を攻めることの無意味さを諭した話。) ]



[△趙魏双方の面子立てる宋(五九):(宋君は、魏の景王から趙の都を討つための援軍を求められ、小国ゆえ双方に顔を立てる必要から、趙に国境の城を攻める了解を受け、膠着戦で双方を納得させた話。)]


齊を語る上でやや時代を遡りますが、戦国四君の一人、孟嘗君は外せません。孟嘗君は田文といい、齊の威王の孫にあたります。威王は兵法三十六計「仮痴不癲」(愚と装い、人見抜き、機待つ)の策を用い、人を見る目があって、身近に多くの士を集めていました。 首都臨淄(りんし)は繊維、製塩、製鉄で栄え、稷下(しょくか)の学士と呼ばれる諸子百家が集まりました。ギリシャで、アリストテレスなど哲学者が集ったのも同時期でした。 その影響か、孟嘗君は平時から様々な食客を多く抱えていました。


[△孟嘗君人好き、食客三千(三〇):(孟嘗君の命で、秦の昭王を訪れた公孫弘が、孟嘗君が人物を好み、死を恐れぬ者多数、と言い放った話)]


[△孟嘗君、適材適所諭さる(七一):(人を使うには適材適所があり、不得意なことで陸に上った河童してはいけない、と諭した話)]


有名なのが、鶏鳴狗盗の故事です。秦の宰相に、と招聘されたが、王の気が変わり、秦から逃げるため、函谷関を抜ける際に、食客の鳴き真似の名人のお陰で救われた話です。ほかにも、機転で、難を逃れる話もあります。


[△玉飲めば、腹切り危うし(五八):(燕の人質であった張醜が命が危うく逃亡したが、途上で役人に囚われた際に、自分が盗んだ宝玉を役人が奪い飲み込んだと自供する、と言って、▲腸を切られることを恐れた役人に釈放された話。)]


齊に戻った孟嘗君は、齊湣王(びんおう)の下、宰相として腕を奮います。函谷關之戰2(二九六年)では、孟嘗君は、因縁の秦を撃破します。

湣王は、齊が富強になると、他国に強圧的となり、他国との協調を旨とする孟嘗君が疎ましく、宰相を罷免し、孟嘗君の食客も、馮諼(ふうかん)只一人となりました。馮諼は、孟嘗君を魏の宰相に推挙するなど工作し、齊の湣王も考えを改め、孟嘗君は宰相に戻りますが、最後は魏へと身を引きます。

濟西之戰で齊は燕に敗れ、湣王が殺され、即墨之戰で齊が燕に勝ち、孟嘗君は齊に帰り亡くなりました。


[△好意甘えず借り物大事に(九三)(兎角しがちな粗雑な扱い、注意):(趙王に城を報じられた孟嘗君は、その好意を粗末にしないよう説いた話。)]


[△孟嘗君度量の広さ桁外れ(三五)(禍を転じて功となす、義侠心):(斉の孟嘗君が、妻と密通している舍人を殺さず、衛へ送り込んだ話)]


[△馮諼一人残り智恵を絞る(二九)(孟嘗君、馮諼のおねだり快諾)(狡兎三窟=兎逃げ道三つあり):(不躾の食客、馮諼は、孟嘗君のため智恵を絞り、斉国内、魏も敵とせず、斉の平和を長く維持した話)]


 次は、燕の樂毅(がくき)と齊の田單との激戦の話となりますが、樂毅について触れます。樂毅は趙に行きますが、武霊王がお家騒動で、息子恵文王に餓死させられる事件があり、魏に移ります。ただ、燕の昭王が人を求めていると聞き、燕に仕官します。燕の昭王は太子時代の経験から齊に恨みを持っており、広く人材を求めていました。

まず私の仕官から、と郭隗が言いました。


[△死馬の高値が、呼ぶ名馬(七六)(まず私隗より始めよ、されば)(齊の城、莒、即墨を残すのみ):(燕の昭王は、賢者を集めて国を再興しようとし、郭隈=かくかいに問うたが、死んだ馬の首を高値で買うことで、千里の馬を入手出来た故事を聞かされ、まず隈を厚遇し、目的を達せたという話。)]


燕の昭王の宰相に、合従策を提唱した蘇秦の弟の蘇代がおり、蘇代は昭王に諭したり、趙の恵文王に、燕攻めは、鷸蚌の争いとなって、秦は漁夫の利を得ると忠告しました。


[△褒めそやす仲人口も必要(四六):(燕の昭王が蘇秦の弟蘇代に、うそつきは嫌いだ、と言ったのに対して、物事は権謀がなければ成就せず、うそつきでなければ王の希望を叶えられない、と言った話。) ]


[△鷸蚌の争い、漁夫の利 (八五):(燕の宰相蘇代(縦横家、縦横家の代表蘇秦の弟)が、燕に攻め入ろうとする趙の恵文王に、秦が漁夫の利を得ると説得した話。)]

 樂毅は昭王に、齊に対するための他国との連合を説いて、趙・魏・韓、趙の友好国秦の五カ国連合を結成、濟西之戰(二八四年)で齊に勝利し、城は、莒(きょ)、即墨残すのみとなります。楚は齊に援軍を送り、宰相たる淖齒(とうし)は、湣王を見限って、莒で殺害します。


[△湣王死、襄王即位戦勝つ(四三):(斉の閔王は自戒せず、淖齒が殺害、燕の楽毅将軍を田単が破り、失地回復、襄王、王建に続く話)]


[△王孫賈、母の戒めで仇討ち(五)(門に寄り、子の帰り待つ母心):(幼くして閔王仕えていた王孫賈が、主人の仇、淖齒を討つ話)]


 莒、即墨のみとなった瀕死の齊は、将軍田單の知略で挽回します。窮地の齊の田單は、兵法三十六計「反間計」=敵のスパイに偽情報を流し、敵国内の離反を目論む策、を使います。燕で昭王から恵王への代替わりがあり、樂毅と反りが合わなかった恵王に吹き込みます。樂毅が莒、即墨の二城を落さないのは樂毅が齊王の座を狙っているから、と。案の定、真に受けた恵王に将軍を楽毅から騎劫に交代させることに成功します。

楽毅は身の危険を感じ趙に亡命し、▲楽毅を失った燕軍は、田單率いる齊軍に負け続け、濟西之戰で齊から奪った七十余城総てを奪い回されました。
これが即墨之戰(二七九年)です。

 この戦いで、田單は、兵法三十六計の「樹上開花」(はなをさかせる)(小兵力を大兵力に見せかける)を使います。兵力不足を補うため、鳥に餌を撒き、鳥の大群を集めて、「天意、齊にあり」と思わせたり、墓地を暴き、怨霊で恐れさせたり、千頭もの牛の尾に松明を縛り付け、敵陣に突進させ、夜襲を掛けたりしました。これは「火牛の計」と言うもので、木曾義仲が、倶利伽羅峠の戦いで使った戦法でもあります。

 湣王の殺害後、息子が莒で身を隠しましたが、▲見出されて、莒で齊の襄王となりました。襄王は莒、田單は即墨で、燕軍と戦いました。襄王は、田單の慈善を褒め、自分の評判を上げるよう諭されました。


[△襄王、田単慈善我が物に(七二):(斉の襄王は、将軍田單の善行を不快に思ったが、貫珠の話を聞いて田單を厚遇し、自らの善行とした話)]


田單も批判に耳を傾け、人を推挙し、後に身の助けともなりました。


[△盗跖の狗、聖人堯に吠ゆ(二七):(貂勃が田單を小物と言うのは仕官したいから、とわかり、田單は、敵に回さぬよう、斉王に取り次いだ話)]


また人の意見を素直に聞きました。


[△将死ぬ気で、兵命捨てる(七三):(魯仲子が、燕を破り斉の失地回復をし、狄に赴こうとする田單に。死ぬ気でやれ、と檄を飛ばす話)]


 齊に敗れた燕の恵王は、趙へと逃れた樂毅が、燕の疲弊に乗じて返り討つことを恐れ、使者を送り、先王の威王の恩を忘れないように釘を刺したのに対し、樂毅は恵王に、切々たる返書を送っています。


[△立つ鳥、古巣に放屁せず(三九)(創業得手、守成得手と限らず):(燕の先王昭王の代に軍功があった樂毅が、▲次王恵王に疑われたため、趙に行って重用されたことに、恵王は自分への返り討ちを恐れ、先王の恩に報いるように言い聞かすが、樂毅も了承していた話。) ]


★最期に、この時代の戦争の勝敗、これによる領土の変遷をご覧下さい。 以下の画面にマウスを当てて、ゆっくりと左クリックを繰返し、画面を変換させて下さい。

(領土変遷:画像引用:Histodome史图馆)



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[クリックすると、各年次の戦いの勝敗と領土の変遷をご覧になれます。]

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以下はゲームのサイトですが、「戦国策」登場人物の説明とイラストを表示しています。

ご興味ある方は、名前部分をクリックしてみて下さい。

6.秦の進撃、復活燕と齊の攻防

[田文(孟嘗君)(でんぶん)]

[樂毅(がくき)]

[田單(でんたん)]

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[7.秦による一強国時代の始まり]

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[1.始めに]
[「戰國策」の時代]
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