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           2.春秋時代



2.春秋時代

BC770年~BC453年

戦国時代以前に、夏、殷(商)の王朝、更に周王朝の春秋時代があります。


そこには、晉・齊・楚・秦の四大有力国、魯・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・呉・杞・越などの国があり、周王朝を中心に、魯、衛、曹、鄭、呉などの関連国、殷末裔の宋、夏末裔の杞などが平野部にありました。

▲★周王朝は、武王が、殷の暴君で知られる紂王を破り、建国しました。

そこには、周王朝の家系図にある通り、王朝分家には相応の爵位が与えられ、領土が分封されていました。

周王朝

資料引用:ウィキペディア

周王朝は、前771年の洛邑(洛陽)への遷都を境に、以前が西周、以後が東周とに分かれます。

洛邑の邑(ゆう)とは、「村」のことで、城壁に囲まれた都市部と、周辺の耕作地から成り立っています。

城壁が必要な理由とは、狩猟、牧畜などを営む非都市部族(いわゆる夷狄)から身を守るためでした。

これらギリシャのポリスにも似た都市国家的な集住地が多数散在しており、邑の大きなもの=大邑が中心となって編目状に拡がった都市国家連合体を、邑制国家と呼ぶ学説があります。

西周時代の中国

画像引用:ウィキペディア

この邑同士が争いを繰返されて、淘汰、併合が進行し、徐々に、点と線ではなく、面の国が形成されていきました。

(都市国家群→領域国家群)▲

BC771

画像引用:Histodome史图馆

十二諸侯から戦国七雄へ

画像引用:国立国会図書館デジタルコレクション

▲ ★夏王朝、殷(商)王朝、周王朝の春秋時代の各国の勢力範囲を見ます。

以下画面にマウスを当て、ゆっくり左クリックを繰返し、画面を変換させて下さい。

   画像引用:Histodome史图馆



[3.晉の三家分裂から魏の興隆と衰退]

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