中国とナイジェリア:4.ナイジェリアの主要語族   


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第四章:ナイジェリアの主要語族

1.はじめに

ナイジェリアの民族の数を543民族と言いました。
ただ、「人々の集まり」の呼び方は難しいです。 呼ぶ人と呼ばれる人との関係性が反映されるからです。
「客」「顧客」「お客さま」とでニュアンスが違います。 「民族」という言葉には、施政者の意図が感じられる 場合があります。また「部族」という言葉には見下した ニュアンスがあります。
ここでは、主として、「日本人」のように「✖✖人」と呼びます。 また、肌の色を取り上げる表現は使いません。
ここで使うのは「語族」、つまり「話す言葉」による 分類です。
同じ言葉で交流し、生活している人々の集まりは、 文化的にも纏まっているはず、という考えです。

2.言語

ナイジェリアの公用語は英語ですが、それぞれの語族内 で使う本来の言葉は別々です。ヨルバ語、イボ語などは、 中国語の五声のような声調言語です。
具体例で、ナイジェリアの語族で多数派の代表的な 三つの人達、ハウサ人、ヨルバ人、イボ人の単語、挨拶を グーグル翻訳で調べると、別紙のようになります。

★資料:
3003 ハウサ:ヨルバ:イボの言葉比較

ハウサ:ヨルバ:イボの言葉比較


インド・ヨーロッパ語族同士で「BODY」=「菩提」 のような類似点はありません。
ですから、相互で会話出来るように、彼ら共通の公用語、 英語が使われます。もちろん、自分達風にアレンジした いわゆるピジン語も含まれます。

英国BBCサイトのハウサ語版、ヨルバ語版、イボ語版の違いは、以下のサイトでご覧になれます。

[ 英国BBCサイト:ハウサ語版 ]

[ 英国BBCサイト:ヨルバ語版 ]

[ 英国BBCサイト:イボ語版 ]

3.無文字文化

アフリカに固有古来からあった固有文字は、ヒエログリフ、 コプト文字、エチオピア文字など、極めて少数です。
西アフリカにも、言葉を表す独自の文字はありませんでした。
確かに、紙に書いたインクのシミである文字は、熱帯雨林帯 では湿気や虫で 1 年も経たずにボロボロになるし,砂漠地帯 では逆に乾燥でカサカサになり、永続性はありません。
アイヌの人々にも共通する無文字文化は、世界各地で 見られますが、近隣との連絡は、太鼓音で、過去からの伝承は 口承で伝えられ、独自の言語、文化、神を維持してきました。
これが、同じ語族名、地名などを表わすアルファベットの 表示が異なることが多い理由です。

文字文化と無文字文化との対比は、言い換えれば文学と 音楽との対比のようなもので、優劣の問題はありません。

彼らの歴史の一部が文字で記されるほうになったのは、 イスラム教の浸透で、イスラム文字が使われるように なって以降です。
ですから、それ以前の歴史を調べる には、文字によらず、口承説話、遺跡調査などによる 必要があります。

また、一部の語族では、入れ墨のように、顔に独自の 切り傷を入れて、自分の語族を表示することもありました。

★資料
3004 部族を表す顔の切り傷
9019 アキントラ
9030 アバチャ

部族を表す顔の切り傷 アキントラ アバチャ


★★サイト紹介(世界の国別 peoplegroups のサイト)

[ 地球ことば村:アフリカ固有の文字 ]

[ サイト名 ]部分をクリックして下さい。

4.ナイジェリアの主要語族

ナイジェリアの主要語族で、人口百万人以上の語族を列挙すると、 上位23語族で175万人と全人口の81%になります。

それらのうちで、人口数が多い語族群では、ヨルバ人40百万人、 ハウサ人36百万人、フラニ人32百万人、イボ人30百万人と なりますが、その人々も含めて、以下、見ていきます。

順番は、説明の都合上、フラニ人、ハウサ人、ヨルバ人、イボ人 となります。

★資料:
3021 ナイジェリア人の構成
3022 民族分布
3024 Linguistic Groups
3027 Language Map

ナイジェリア人の構成 Linguistic Groups Language Map


3051 ナイジェリア主要四大民族の居住地域

ハウサ人の主要居住地域 フラニ人の主要居住地域 ヨルバ人の主要居住地域 イボ人の主要居住地域


ナイジェリアの人口数上位23民族(人口数百万人超)とその居住地は、以下の通りです。



(1)フラニ人

大西洋語族と言われるだけあって、フラニ人は、セネガル川沿い、 ギニア高地から牛を追って、ニジェール川上流から下流に川沿い に東進し、ついには現在のナイジェリア北部、チャド湖にまで達した、と されており、その移動の足取りが、現在のフラニ人の分布に見えます。

先住ハウサ人の諸王国の支配下にありましたが、徐々に同化して いき、現在は一括してハウサ・フラニ人とされています。
また、遊牧フラニ人から都市に定住する「都市フラニ」が分かれ、 現在、顕著なフラニ人はナイジェリア東部に散見されます。

★資料:
3031 フラニ(フルベ)人の分布図
3033 フラニ人の西から東へ分布図

アフリカの語族系統 アフリカ言語分布


(2)ハウサ人

ハウサ人は、アフロ・アジア語族のうちにチャド語族に属しており、 同じグループが東にわたり分布しています。

ハウサ人の歴史は、フラニ人に抹消されて不明ですが、口承では、 13世紀頃、バグダードのバヤジッド王子がこの地を訪れて、 ダウラの王女と結婚し、その子孫が現在のナイジェリア北部に 七つの都市国家(王国)を作ったとされています。

実際には、ハウサ人が辿った経路は、地中海沿岸から、セネガル を経て、ニジェール川沿いを南下して、現在のナイジェリアに至る もので、そこに定住し、農耕に従事した、と考えられます。 ハウサ人には、身近にいたジャッカルとハイエナの民話があります。

ハウサ人は、農耕のみでなく、一部は、サハラ交易、藍染め、綿織物、 皮革、金属加工などの商工業にも従事するようになりました。
因みに、「藍=インディゴ」は、虫よけのためにも使われていました。

七つの都市国家(王国)には、それぞれの機能が分担されていた、 とされています。
ダウラ(宗教)、カシナ(商業)、カノ(染色)、ラノ(織物)、 ビラム(政治)、ザリア(奴隷略奪)、ゴビール(軍備)です。
従来は土俗宗教を信じていましたが、13世紀以降、イスラム化 が進み、1370年には、カノ国王がイスラムに改宗しています。

★資料:
3043 アフロ:アジア
3046 Afro Asiatic
アフリカの語族系統 アフリカ言語分布


(3)ヨルバ人

ヨルバ人はボルタ・ニジェール語族に属しています。 ヨルバ人の起源は不明ですが、神話があります。
その一つが、全能の神オロルンの息子のオドゥドゥワが天上から水の 覆われた地上に降り、水面に土を撒き、雄鶏の土を掻き混ぜさせ、 パームの木を植えたのが、現在の都市、イフェであり、ここから オドゥドゥワの子孫が各地に拡がっていった、というものです。

もう一つは、メッカのオドゥドゥワ王子が、偶像崇拝に駆られて 旅に出てイフェに辿り着き定住し、七人の息子がそれぞれ王国を 作った、というものです。
その一人がオランミヤン王で、オヨ王国を建国しました。 ヨルバ人は、共通の聖地イフェ、共通の祖先オドゥドゥワを持ち、 強い帰属意識があると言えます。

神話とは別に、考古学調査の結果では、ヨルバ人は、10~11 世紀頃、エジプト方面の地方からイフェにやって来て、住み着いた のでは、とされています。
ヨルバ七国とは、イフェ、オヨ、イバダン、イジェブ、アベオクタ、 エキティ、オンドですが、永年にわたり、それらを統一する権力は 生ぜず、緩やかな連邦を形成していました。

18世紀に至り、オヨ王国が軍事的に台頭して他国を征服し、 18世紀中頃には最盛期を迎えましたが、19世紀初めに、北部から 侵入したハウサ・フラニ人に滅ぼされました。
ヨルバ人は、他の外敵と戦わない時は、奴隷商人に売り渡す奴隷を 狩り集めるため、相互に抗争した、と言われています。

(4)イボ人

イボ人はボルタ・ニジェール語族に属しています。
イボ人の起源は不明ですが、その祖先は、ニジェール川、ベヌエ川 の合流地域の北方から移住してきたとする学説、チュクという名の 創造主が瞬時にイボ人の国を作ったのであり、当初からその地にいた、 とする神話さえあります。

イボ人による国家はありません。 イボ人の政治社会制度は、専制君主制とか首長制などとは異なり、 「分散化された『国家なき社会』」とも言われています。
つまり、単体の集合体が更に集合する形で社会単位が出来ている、 ということです。

核家族→拡大家族→単系血縁集団→村落集団→氏族となり、拡大家族 以上の各単位には政治機構が組織され、そこでは、慣習法を解読し、 運用する長老達により、行政が行われていました。
このように、イボ人社会の政治組織は、各単位毎に、民主主義の原理 が採り入れられていた、と言えます。

他方、イボ人は土地に恵まれず、人口に比して農耕地が狭かったこと から、早くから各地に分散移住する必要があり、さらに南下して、 ニジェール・デルタ地帯に定住することとなりました。 そこでの社会組織の一つに「ハウス制度」があり、従来の血縁を核と した結びつきを離れ、異なる氏族が、都市で同じ「ハウス」に所属する こととなりました。

これらの影響で、イボ人の気質は民主主義的、個人主義的、進歩主義的で、 教育を重視する特長がある、と言われています。
ボコ・ハラム運動の「西洋の教育は罪」の発想と異なり、奴隷貿易の 仲介、パーム油交易などで西欧の商人と早くから接触してきたイボ人は 比較的容易にキリスト教、西欧文化を受け入れました。

さらに、デルタ地帯の後背地の内陸では、創造主チュクの神殿の地に 住むアロ氏族は、神託を受けたと称し、内陸地域に広大な通商網を作り、 交易を独占することとなりました。

その他の氏族の間でも、職業の分化は進み、農業以外の職業につくよう になり、そのような傾向が植民地下での専門職への就業に繋がりました。
イボ人は、自分の出身地でない地域で、他の人々の敵意から身を守る ために、同族会員団体とも言える組織を作りましたが、それが後に、 政党組織の核ともなりました。

(5)カヌリ人

カヌリ人は、ニロ・サハラン語族のサハラン語族に属しています。 ナイジェリア東北部、かつてボルヌ王国があったボルヌ地方、に住んで います。
ハウサ語を奴隷階級の言葉と軽蔑している傾向があります。 現在、ボコ・ハラム運動の中心地となっていますが、19世紀のフラニ人 の侵攻にも抵抗しています。「誇り高く信心深い戦士」と綽名されています。

(6)ティブ人

ティブ人は、ベヌエ・コンゴ語族に属しています。 ベヌエ川流域に住む独立自尊の風が強い人達で、大村落は作りません。
牧畜民フラニ人と、農耕民ティブ人とのいざこざも生じています。 フラニ人の侵攻にも激しく抵抗し、後に、イギリス軍を最も悩ませた 人達です。イスラム教を排し、土俗宗教とキリスト教が普及しています。
尚武の気風があり、連邦軍内にも人材が豊富です。



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オコイ・アリクポ(Okoi Arikpo)著作:「近代ナイジェリアの発展」(The Development of Modern Nigeria)より
第一章:The People
Their physical environment,ethnic composition and cultural history を訳出してみました。

彼はロンドンで、人類学と法学を学び、1952年には「ナイジェリア人とは誰か?」という書物を書いており、他にもナイジェリアの法律、社会の歴史に関する幾つかの論文があります。

本文では、ナイジェリアに住む人たち、その歴史を採り上げています。

これから見て行く「塩の時代」「砂糖の時代」の章と合わせてご覧下さい。

[ Okoi Arikpo:Nigerian People ](フレーム右サイドノブ、画面をスクロール願います。)



★★サイト紹介(Language of Nigeriaのサイト)

[ Language of Nigeria ]

[ サイト名 ]部分をクリックして下さい。



[5.ニジェール川中流域内陸の帝国の変遷(塩の時代) ]

[0.中国とナイジェリア」冒頭画面]


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