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   6.諸子百家の交流、問答



第六節:諸子百家の交流、問答

★参考資料[○○]の部分をクリックして御覧下さい。

諸子百家交流の記録を見ていきます。

  ①.孔子(儒家)と老子(道家)
  ②.孟子(儒家)と許行(農家)
  ③.孟子(儒家)と告子(法家)
  ④.荘子(道家)と恵施(名家)
  ⑤.蘇秦(縦横家)と張儀(同)

①.孔子(儒家)と老子(道家)

孔子は儒教の祖ですが、老子は道教の祖で、神話伝説の三皇五帝時代の黄帝が始祖である黄老思想を大成させたとされています。
 老子の道徳経第八章に、孔子が老子を訪ねた、と記されています。

 老子は、浩々たる黄河を指さして、孔子に尋ねます。「水の美徳を学んでみないかい?」
孔子は尋ねます。「水にどんな徳がありますか?」

老子は答えます。「上善、つまり一番良いのは水のあの性質さ。水は万物に役立って争わない。
人の嫌がる所へも行く。「道」のようなものだ。

心地良いのは平地、心は淵のように静かで深く、交流は思いやりを持ち真心で話し、善い政治を行い世を治め、自然に任せ、事あれば動くが良い。
争わず、だから恨まれない。」

 史記:七十列傳:老子韓非列傳には以下のように記されています。

「老子は楚國苦縣厲鄉曲仁里出身、姓は李、名は耳,字名は聃、周の王朝で図書館担当の歴史家だった。
孔子は周の都を訪れ、老子に彼の『礼』につき教えを乞おうとした。

老子曰く『あなたの言う礼、それを唱えた人、骨さえも既に腐敗し、残っているのは言葉のみ。
君子も運良ければ出仕し官を得るが、間に合わずば、唯のなびく草となる。
商いがうまい人は財を隠し、何もなく装うと聞くが、高尚な品徳を持つ人は、見た目は謙虚で愚鈍にさえ見える。

傲慢さ、過度の欲を捨て、見てくれ、過度の野心をも捨てることが肝心。
欲はあなたにとって良くない。
私が言えるのは、これだけだ。』」

老子の元を辞した後、孔子は弟子に言いました。
「私は知っている。鳥が飛べるとも。魚が泳げるとも、獣が走れるとも。
飛べるものには矢が撃て、泳げるものには釣り糸が使え、走るものには網が使える。

  でも、相手が龍ならどうすべきか、私にはわからない。
今日出逢った風に吹かれた老子はまさに龍だ。」

 「怨みに報いる」に対し孔子は「直=公正と公平」を唱えた一方、老子は「徳」を唱えました。
でも世に受け入れられない時節となり、晴耕雨読の隠遁生活に入りました。

孔子は、老子に敬意を払いつつ、春秋の現世を、周代の徳治政治で立て直すべく努めたのでした。

②.孟子(儒家)と許行(農家)

 許行は、古代中国の三皇五帝の一人で、人々に医療と農耕技術を教えたとされる神農の信奉者です。

 孟子の滕文公上篇に、戦国時代の小国、滕の君主で、孟子の感化を受けた文公の元を訪れた許行の姿が記されています。
弟子共々に住まいを求める許行は、襤褸切れを纏い、藁靴、ムシロ作りで生計を立てていました。

弟子の一人に、儒者、陳良の弟子の陳相という者がいました。
彼は許行と出会って彼の説に感銘を受け、儒家の学を投げ捨て、許行の下で学ぶようになりました。
陳相は孟子と会見し、許行の説を主張して言いました。

陳相「滕の君主はまことに賢君だが、正しい道を聞き入れていない。
賢者というもの、人民と並んで耕し、働いて生計を立て、朝夕の食事は自ら作らなければならない。
今や、滕の国には穀物も金も倉庫に満ち満ちているが、これは人民の労働に寄生して徒食しているのだ。
これではまだ賢明とは言えない。」

孟子「許先生は、必ず自分で穀物を育て、それを食べているのか?」
陳相「いかにも。」

孟子「先生は、自分で布を織って、それを着ているか?」
陳相「否、襤褸切れを着ている。」

孟子「先生は冠を被るか?」
陳相「被る。」

孟子「なにを被っておいでか?」
陳相「素い絹で作った冠だ。」

孟子「それを先生は自分で織っておられるとでも言うのか?」
陳相「否、作った穀物と交換だ。」

孟子「へえ?では、先生はなんでご自分で織られないのか?」
陳相「農作業の妨げになるから。」

孟子「先生は釜か甑を使っているか?鉄の農具で耕しているのか?」
陳相「然り。」

孟子「なら、それら道具をご自分で作られているのか?」
陳相「否、作った穀物と交換だ。」

孟子「穀物を道具と交換している。それで、職人に頼らないと考えるなら、職人もまた、穀物を作った農民に頼らないと言えないか?
先生はなぜ陶器や鉄を作らないか?自給自足なら必要に応じ自分の家で自作すれば良いのに、なぜか?」
陳相「職人の多種の仕事を、農業と同時にできるわけはなかろう。」

孟子「そうならば、天下を治めるという仕事だけが、農作業と同時にできるわけもないだろうが。

天下を治めるという大きな仕事もあり、物を作るという小さな仕事もある。
身の周りの道具にも、様々な職人の手仕事が入っているし、もし必ず全てを自作するとなると、天下を率いる君主の気力が失せてしまう。

だから『ある者は心を労し、ある者は力を労す』。
心を労する者は人を治め、また力を労する者は人に治められる。
人に治められる者は人を養い、人を治める者は人に養われる。
これは天下に通用する道理なのだ!」

 時代は、既に神農の自給自足の理想世界ではなく分業の世界です。
孟子の儒教は、君主への無条件の忠誠を認めたわけではなく、身分や年功の序列と同様、天下が尊ぶべきものとして徳の大小を挙げること、君主としてやるべきことをしているかで上下の秩序を再確認するという考え方である、とも言えます。

③.孟子(儒家)と告子(法家)

 孟子の告子章上句篇に、孟子と告子の人間の本性についての問答が記されていますが、孔子と老子の場合と同じく「水」が主題です。

告子「人間の本性は渦巻き流れる水のようなものである。
東の堰を切り落とせば東に、西の堰を切り落とせば西に流れる。
人の本性は善とも不善とも分けられない。堰を切り落とす前と同じだ。」

孟子「確かに水は東西を区別せず流れる。しかし上下の区別なく流れることはない。
人の本性が善であることは、水が低きに流れるようなもので、低いほうに流れない水がないのと同じく、本性が善でない人間などいない。
水を手で打って跳ねさせれば、人の額を飛び越えさせもできよう。また水をせき止めれば、激しい勢いで山の上へと逆流することもあろう。
でもそれが水の本性とは言えない。
外から加わる力がそうさせている。
人が悪事をするのも外からの勢いに影響されているからだ。」

 別の問答も記されています。

告子「人間の『性』は杞柳と同じである。
人間の『義』は、それで作る杯、水差しのように曲がったものだ。
人間の『性』から『仁義』を作るのは、本来曲がっていない杞柳を曲がった器に作るようなものである。」

孟子「真っ直ぐな杞柳の『性』に従い曲がった器を作るとでも言うか。そうではないだろう。
杞柳の『性』をつぶして、曲がった器を作ると言うのか!真っ直ぐな杞柳をつぶして曲がった器を作ると言うならば、即ち人をつぶして仁義をさせようと言うのか!
天下の人をたぶらかして仁義の災いをなすのは必ずやあなたの言葉だ!」

 告子は人の『性』に善も不善もなく、明君の出現で民は善を好むように、暗君の出現で乱暴を好むようになり、人の『性』は環境により規定されると説きました。
これを「性無記説:性白紙説」と言います。

対する孟子は「性善説」を唱えました。
後で、同じく儒家、荀子の性悪説との関係を述べます。

④.荘子(道家)と恵施(名家)

 「荘子」冒頭「逍遥遊篇」に恵施との「瓢箪問答」が記されています。
恵施は、荘子より二十歳以上、年上の魏の宰相で荘子の議論相手の友人であり、名家の代表者です。 名家は一種の論理学を説きました。
「白馬は『白馬』であって、『馬』ではない。」と説く「白馬非馬論」など詭弁ではありますが、荘子の天下篇で、恵施の詭弁に触発され、差別否定の思想が、万物斉同説の形で開花した、とも言えます。

 恵施は、魏王から貰った瓢箪の種を育てたが、大きくなりすぎて、そのまま飲み物を入れると重すぎ、半分の柄杓でも底浅で使えないと訴えます。

これに対して、荘子は、ありきたりの常識を捨てて、瓢箪で浮き船を作り、揚子江の広い流れに身を任せ、大自然を楽しむことを勧めます。
一見無用にも見える「大きすぎる瓢箪」にも、考え方一つで使い道がある、と話します。
 また、荘子の思想があまりにも超世俗的で役立たないと非難する恵施に対して、アカギレの薬作りが、呉越の戦闘で大手柄となった話をします。荘子は「無用の用」を語ります。

 「齊物論」にはこう記されています。
「昭文は琴をかき鳴らし、音楽家の師曠は瑟の音を調音し、弁論家の恵施は机にもたれ思想・論理を語っている。
これら三人の知性は最高に優れたものである。
だからこそ、その偉大さを書き残されて後世にまで伝えられている。
彼らは知識・技能を好んでいるが、真に『道』を好む絶対者と異なる。

彼らは知識・技能を好んで極めることで『道』を明らかにしようとしたが、残念な結果となっている。
昭文君の息子は琴の弦を弄んだが、それで終わった。
三人は果たして何かを成し遂げた、と言えるか?
言えるなら我々も『成』と言える。でも言えなければ『成』などない。
『不明の明』つまり『渾沌の道を渾沌として受け入れ生かす』ことこそが、聖人の智恵である。
是非の分別を用いず絶対的な自然に順うことこそが『明』である。」と。

荘子の思想、恵施との問答にご興味のある方は、以下の漫画をご覧下さい。

荘子「逍遙遊」「齊物論」

[0010逍遙遊(しょうようゆう)]
0011★★自然的簫聲003(0011序)★★

[0110逍遙遊]
0111莊子生平 /
0112★巨大的怪鳥082 /
0113★寒蟬與靈龜(0113蟬と亀)061 /

[0120逍遙遊]
0121序言 /
0122列子御風而行 /
0123越人文身(0123越人の入れ墨)/
0124宋人的秘方(0124宋人の特効薬)/

[0130逍遙遊]
0131(下) 序言 /
0132許由不受天下 /
0133無用的儒樹(0133役にたたない権瑞の木)/
0134小麻雀的得意(0134雀の嘲り)/ 

0140逍遙遊:
0141(下)★惠施的大葫芦072(0141恵子のでっかい瓢簞)★ / 

[0210齊物論(せいぶつろん)]
0211序言 /
0212大地簫聲(0212大地の簫声) /
0213齊物論:誰是主宰 /

[0220齊物論]
0221(下)序言 /
0222朝三暮四(0222朝三暮四) /
0223朝三暮四新說 /
0224莊子說話不說話 /

[0230齊物論]
0231昭文不再彈琴(0231楽師廃業) /
0232惠施靠在梧桐上(0232恵施の悟り) /

[0240齊物論]
0241堯問 /
0242王倪知道不知道(0242知と不知) /
0243西施是美女嗎?(0243西施は美女か ) /

[0250齊物論]
0251麗姬的哭泣(0251麗姬の涙) /
0252長梧子的大夢(0252長梧子の夢) /
0253影子的對話(0253影たちの会話) /
0254莊周夢蝶(0254夢に蝴蝶を見る) /

⑤.蘇秦(縦横家)と張儀(同)

 縦横家の蘇秦と張儀は、ともに師匠の鬼谷子の元で学んだ仲間で途中まで力を合わせていたものの、袂を分かつこととなります。
蘇秦は、戦国七雄のなかでめきめき力をつけてきた秦と他の六カ国との関係で、秦の東進を遮る盾となる合従策を、張儀は、和秦でその盾を突き破る連衡策を君主達に提言し、実行に移しました。

[  戦国策より 縦横家の暗躍と燕楚韓の衰退    ]

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[    1.はじめに               ]
[    2.諸子百家とその活躍の時代        ]
[    3.諸子百家の概略             ]
[    4.法家と墨家               ]
[    5.韓非子の「五蠹篇」「孤憤篇」      ]
[    6.諸子百家の交流、問答          ]
[    7.稷下の学士               ]
[    8.荀子の性悪説              ]
[    9.資料篇                 ]

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