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   1.はじめに



第一節:はじめに

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 前回、「戦国策」を通し、中国の戦国時代を見ました。
春秋時代に次ぎ三国分晉に始まる戦国時代は、秦・楚・齊・燕・趙・魏・韓の戦国七雄が相争う中で、秦・齊の二強国が競い、最終的には秦が中国統一する過程を示しています。
「戦国策」では戦国七雄の戦いを、勝敗を中心に見ています。

確かに各国の外交政策、将軍の采配など重要です。
でも、戦いの背景には、国内産業の底力、民力、兵力などがあります。
国内に乱れがあれば他国につけ込まれ、国内が整えば産業も盛んになって、民力も富む。
そうなるためには、何が必要か?

 春秋時代の孔子、老子、墨子に続き、戦国時代には、中国各地で、数多くの学者=諸子百家が自説を唱え、多くは国政で試されました。
諸子百家は、他説と論争し、切磋琢磨し、他説も取り込んでいきました。
諸子百家の中で秦の中国統一に貢献したのが、法家の考え方であり、韓非子もその一人です。
韓非子の思想はどこから来たか?

それを知るには諸子百家の流れを見ていく必要があります。
そこで、春秋時代から戦国時代の諸子百家を概観し、他家の学者から受けた影響など時代と学説の推移を追い、縦軸、横軸の関係を見て行きます。
諸子百家のリストを添付しました。

資料などで生年が判明した学者や同時代と思われる学者を時代ごとに並べたリストです。

学者は所属学派=百家ごとに分かれています。
生年ですので、学者が実際に活躍したのは、30~40才以降です。
左端のA~F欄の年号(紀元前)は、学者たちが活躍し始めた時期です。

註1.諸子の生没年などの年号は、総て紀元前です。
註2.記載、資料の多くは中国の百度百科、ウィキペディアなどからの引用です。
註3.歴史は書き換えられ、抹消され、追記されるものです。
   古典の資料が、史実、後世の説話か識別出来ず、お話としてお読み下さい。
註4.諸子百家の発言は資料原文、グーグル英語訳、日本語訳、中国現代語訳を参考に我流翻訳しておりご了承下さい。



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[    1.はじめに               ]
[    2.諸子百家とその活躍の時代        ]
[    3.諸子百家の概略             ]
[    4.法家と墨家               ]
[    5.韓非子の「五蠹篇」「孤憤篇」      ]
[    6.諸子百家の交流、問答          ]
[    7.稷下の学士               ]
[    8.荀子の性悪説              ]
[    9.資料篇                 ]

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