『 学ぶべきこと 』 


8.「学ぶべきこと」

「荘子」に学ぶべきことは、大きく二つある、と思います。


1.未来を切り開く「囚われない自由な発想」

2.現在を生き抜く「解き放たれた心の持ち方」です。



★まずは、「無用の用」に見られる「囚われない自由な発想」です。

確かに「無用の用」の話は卮言=杯の上の言葉であり、それを言い

繕う、相手をはぐらかす詭弁のようにも聞こえます。但し、言葉に

多様な意味を持たせることで、既成概念を打ち破ることが出来ます。

それにより、従来の考えに囚われることなく、自由に発想出来ます。

「大鵬」が天空を舞い、遙か下界を見下ろす。正に鳥瞰の世界です。

「荘子」について、湯川秀樹氏は「本の中の世界」で愛読書である

こと、中間子について考えている頃、「渾沌の死」の話が夢に出て、

刺激になった、と述懐しています。


★もう一つは、極めて現代的ですが、生き抜く際の「心の持ち方」

とでも言えるものです。これは、中国、日本、更に西欧社会も含め、

また、老若男女を問わず、学ぶべき姿勢。と言えます。


★そこに至る前に、いわゆる「老荘思想」が、中国、日本において、

どのように信じられてきたかを見て行きたいと思います。


老荘思想を強く反映している道教は、唐代に全盛期を迎えましたが、

その後、儒教、仏教と相競い合う三教対立の時代となります。また、

時を同じくして、仏教と道教の流れをくむ禅宗が始まります。

インドから中国に禅をもたらしたのは、釈迦28代目の弟子である

菩薩達磨(ダルマさん)で、その後、禅宗は、唐代から宋代にかけ

五家七宗と呼ばれるまでに隆盛し、現在の禅宗に連なっています。


日本にも、既に道教、儒教の教えが伝来していましたが、聖武天皇

が東大寺大仏を建造した頃から、仏教が国教となりました。

空海が「三教指帰」で、道教批判をしたのもこの頃です。


        空海の「「三教指帰」

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また、南宋時代には、朱熹が儒教を体系化し、その後、明の時代に

なると、朱子学が国教となりました。朱熹が著作「小学」の「題辞」

に書いている通り、老荘思想は、厳しい批判に晒されました。


        朱熹の「小学題辞」

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道教は、多分こんな風な妖しげなものと思われていたのではないか、

というユーチューブの作品を御覧下さい。



★[○○]の部分をクリックし、ユーチューブを御覧下さい。

[荘子と妻]

東京工芸大学:作者:宋欣氏「アニメ:荘子と妻」



★時代下って現代に入り、1957年に社会主義体制内での信仰

の自由を保つため、全国組織:中国道教協会が設立されましたが、

文化大革命の時期には他の宗教同様に攻撃の対象となり、道士は

還俗し、多くの道教寺院が破壊されました。その後、1980年

代に入り、徐々に宗教活動が認められるようになりました。


★因みに、「人民中国」の今年四月号では、「荘子」の「秋水」

の記事が掲載されるまでになっています。何故でしょうか?

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これには、現在の中国の事情が大きく関わっている、と思われます。

中国に関するニュースで、6月に注目されたのが、6月7~8日に

行なわれた「高考(ガオカウ)」=「全国大学統一入試」です。



gaokao


★兵隊の出征祝賀のようなバスの見送り、横行するカンニングなどが

興味本位で伝えられました。しかし、経済格差が広がり、汚職事件

が頻発する中国で、数少ない公平性が守られた制度と信じる中国人

は多く、受験のために高校生は、土日休みもなく、朝の6時半から

19時間、中には点滴しながら勉強する者もいると言います。

コネが幅を効かせる一方で、激烈な受験競争であり、田舎、地方で

の生活から脱出するためのる「一生の運命が決まる一発勝負」とも

思われています。しかし、試験は水物、運にも左右されます。

受験への努力が報われなかった時、受験生はどう感じるか?


★負け惜しみが言える位ならまだしも、場合によっては、絶望から

死を選びたい気持ちにもなるでしょう。そんな時、救いはないか?

また、中国では日本以上に高齢化社会が進行しています。かつての

一人っ子政策の影響もあり、年長者の老後の不安に加え、子供達の

負担増加への不安の問題もあります。そのような個人の不安を軽減

し、社会不安を緩和するためには、「荘子」の考え方は救いとなる

もの、と言えます。


★台湾出身の直木賞作家の邱永漢氏は「中国人と日本人」で、中国

人は立身出世を求めると同時に、それがだめになった時の保身処世

の術をも大事にするが、その代表が「荘子」である、としています。

その意味で、儒教と荘子のダブルスタンダードを使い分けています。

人と人とが対峙する儒教と、天と人とが対峙する荘子、当然のこと、

両立するはずです。


★中国の研究者の方々の「荘子」への関心を、「華藝線上圖書館」

と言う台湾のサイトに掲載された論文数と内容で調べて見ました。

論文数は、中国本土と台湾の合計件数です。

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荘子の39件は、孔子、朱子の千分の一、孟子の五百分の一と問題

にならないほど少数ですが、これからが期待出来そうです。

内容としては、台湾の中高年の幸福感の研究に、荘子の論文が引用

されていたことは、面白いと感じました。


★目を転じて見ると、高齢化、格差拡大が言われる日本でも同様の

事情があります。

作家の江上剛氏が、ダイヤモンド・オンラインに書いています。

悩める若者に与える荘子の言葉:弱者が強者に転ずる生き方の試み

です。荘周の因循主義=運命論=絶対に逃れられない運命を自覚し、

それに従うことで、底辺の弱者が、強者に転じるきっかけにもなる

としています。


★禅宗の僧侶で作家の玄侑宗久師は、「禅は道教の嫡流、弟分」と

話されますが、最近では、禅に興味を持つ西洋人も増えています。

道教の一つの源である「荘子」は、「神の否定と理性への反逆」を

テーマとして思想を練り上げており、万物の根源としての「渾沌」

があり、それが陰陽と分かれてエネルギーを生み出すため、外側に

「神」を創る必要はなかった、と師は話されます。

ギリシャ神話の人間くさい多神教から、一神教への変化があります。

「始めに言葉ありき」(ヨハネによる福音書:冒頭部分)言葉から

分かるように、西洋人は言葉を重視し、自己、世界などを、言葉と

して分からないと気が済まないのに対し、東洋人には、世界の根源

は渾沌(カオス)と見る道教(タオイズム)がある、と話されます。

1970年以降、科学者の間でタオイズムが流行し始め、西洋人も

禅に注目し始めた、と話されます。


★言葉は「そうであるもの」と「そうでないもの」とを分断するもの

であり、全体の中には、必ず、言葉で掬い取れないものが残ります。

「渾沌の死」で穿たれた七つの竅による五感も同じですが、五感に

よっても感じられないものもあります。ただ、気配で感じることが

あり、それらによって、人が何かを意識します。このように、人の

内部に生じる感覚は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識

と言われています。禅宗五家七宗の一つ、雲門宗の開祖、雲門文偃

(「日日是好日」で有名)は、「法身とはどんなものか?」と訊ね

られて、「六不収」つまり「六識には収まりきれないものじゃ。」

と答えた、とされています。


「法身」とは、法=ダルマ=真理を体現した体、という意味です。

仏教では、仏には三つの仏身(姿)がある、とします。

「法身仏」=真如・あるがままであること=真理=姿形もない仏様。

「報身仏」=人間の本願に報いて現れた仏で、阿弥陀仏を指します。

「応身仏」=人間に応じて現れた仏で、お釈迦さまを指します。

つまり、「法身」は、六識では認識出来ません。


★禅では、六識では捉えられない「法身」に出逢うことを「悟り」と

呼ぶそうです。それなら、どうやって「悟り」が開けるのか?

実は、六識の奥に、第七マナ識(個人的無意識)、第八アーラヤ識

(集合的無意識)があるそうですが、まずその前に、座禅によって

雑念を取り払う必要があります。昨今、将棋藤井四段の活躍が注目

されていますが、積み重ねた訓練で「直感」が働く、この「感」も、

この種の感覚かも知れません。


さて、師は「万物斉同」につき、経験から面白い話をされています。


老師から、以下の「是の法」とは何かを問う公案があったそうです。

「是法平等無有高下」(是の法は平等にして高下有ること無し)。

金剛般若経の一節:平等とは互いの違いを認め合うことにあるの意。

師は、「山の上の桜も、山の下の桜も、同じ桜でございます。」と

答えると、老師は「そうか、本当にそうか?」とおっしゃった。

その後、考えに考え抜いて、辿り着いた答えは、次の通り。

「山の下の桜は早く咲き、山の上の桜を遅れて咲きます。」

「同じように見えても違いがあり、違いを認めることが平等」

ということのようです。

★♪♪ 富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も

雪に変わりは ないじゃなし とけて 流れりゃ 皆同じ♪♪

ですが、それは物の一面で、そのもたらす恵みが異なります。


もし「荘子」が分かったつもりでいると、とんでもないしっぺ返し

を受けることとなります。謙虚であれ、と心すべきです。

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★年長の方々の背景に、簡にして要たる漢籍の素養が溢れています。

そして、漢籍、中でも「荘子」には、より良く、より自由に、年を

重ねる智恵が詰まっています。これからも、「荘子」から数多くの

ものを学び取って行きたい、と思います。



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[9.荘子に学ぶ]



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