『 荘子:その時代と人物像 』 


2.「荘子:その時代と人物像」

★「荘子」は、西暦前四世紀頃の中国で書かれた書物で、中国では

「庄子」と言います。著者は宋の「荘子」またの名は「荘周」です。

ここでは「荘周」と読み分けます。


★荘子の時代★

「荘子」の内容を理解するためには、まず、それが求められた時代背景

を知る必要があります。それは秦国中国統一以前、戦国七雄とされる

国々が相争う戦国時代の末期です。


  前369年    前286年     前221年

  1.荘周誕生 → 2.荘周死去 →  3.秦による中国統一

BC369
BC286


上の画面(BC221年)をクリックすると、中国歴史絵巻が始まります。

(音量にご注意下さい!)



★如何にして、生き延びるか、また、如何にして、他の国を飲み込むか、

しのぎを削り、相争う時代でした。


王達は、親族内で権力闘争に終始し、また自国の農民を無理矢理に

兵隊に駆り出し、兵力を増強して、時には他国と合従連衡し、時には

他国に攻め入り、争いを続けます。


それら王達を理論的に支えるものとして登場したのが、諸子百家で、

諸子とは孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子等の人物を、百家とは、

儒家、道家、墨家、名家、法家等の学派を指します。「道家」とは

「老荘思想」を指し、「百家争鳴」の時代を越えて、中国思想の二大

潮流となり、中国の人々に大きな影響を与え、今日に到っています。


この頃の西洋はどうかと言うと、プラトン、アリストテレスなどの

哲学者、アレクサンドロス大王などが登場します。点と線の支配から

面の支配へ。小さな都市国家が、強大国家へと変貌していく時代です。

洋を問わず共通点のある時代と言えましょう。


★ 釈迦        :BC463年~383年

  プラトン      :BC427年~347年

  アリストテレス   :BC384年~322年

  孟子        :BC372年~289年

  荘周        :BC369年~286年

  アレクサンドロス大王:BC356年~323年

          <前330年頃の世界>



上の画面をクリックすると、世界の歴史推移(BC3,500年~現代)が

始まります。(音量にご注意下さい!)


★北京とマドリードは、ともに北緯40度近辺です。

同一拡大図で、現代の視点で見ると、まだまだ発展途上です。

          <北緯40度近辺地図>




★荘周の人物像★


★史記老子韓非列伝の荘周列伝に、彼の素性は「梁の恵王・斉の宣王

の時代に蒙の漆畑の役人だった」との記載があるのみで、詳しくは

分かりません。蒙とは、周により滅ぼされた殷の遺民の国、宋国に

ある地名ですが、宋国は奇しくも荘周の死亡年に滅亡したのでした。





宋人は、南国、越のざんばら髪の越人に古代の冠を売ろうとしたり、

伸びの悪い苗を心配し、無理矢理に伸ばして枯らしたり、切り株に

ぶつかった兎を食べ、味を占めてそこから動かなかったなどの逸話

があり、人は良いが頭は弱いと、何かと揶揄軽蔑される存在でした。


★多くの諸子は、権力闘争を続ける王達の求めに応じ、また、自らが

取り入り、王達の政策ブレーンとなりました。例えば、荘周と同郷

の友人、恵施は、戦国七雄の一国、魏の宰相となりました。孟母三遷

で有名な孟子は、自らは王の師で、諸侯と同格とプライド高く自認し、

多くの弟子達を引き連れ、七雄の魏、斉を渡り歩きました。郷里の

鄒は、山東省にあり、荘周の郷里と隣接した場所で、年齢も荘周の

三歳年上、しかも、諸子が頻繁に移動していた時期ですから、荘周

と孟子がお互いを知っていたはずです。でも不思議なことに、二人

の書物に双方の記述はありません。


★荘周も、同じく七雄の一国、楚の威王から宰相に、と嘱望されます。

「千金、重利、卿相・尊位也。」つまり、大変有難い話ではあるが、

として使者に質問を投げかけます。

「吾聞、楚有神亀、死已三千歳矣。王巾笥而蔵之廟堂之上。

此亀者、寧其死為留骨而貴乎、寧其生而曳尾於塗中乎。」

(楚国に死んで三千年の亀がいて、楚王は甲羅を布、箱に包み廟堂の

蔵に安置していると聞く。この亀が望んだことは、死して骨となり

尊ばれることか、生きて泥の中で尾を引き摺り、動き回ることか?)

「寧ろ生きて尾を塗中に曳かん。」使者が答えると、荘周も然りと、

申し入れを断ります。権力に擦り寄り、為政者の顔色を窺う生き方

よりも、自由快適に生きることを選んだのです。このような荘周と

孟子は、全く相容れない存在です。お互いに無視するのは分かります。

ただ、荘周が単なる厭世家であるとも言えません。荘周が出てきた

のが早すぎたのか、荘周の信望に足る王がいなかったのか、そんな

時代でした。

★「司馬遷:史記」(フレーム右サイドノブを上下願います。)




★[○○]の部分をクリックし、次の画面にお進み下さい。

[3.篇別構成]



[0.「荘子に学ぶ」冒頭画面]



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