『 コマーシャルに見る家族 』     


時代映すヒットCMから読み解く「家族像」の大変化 9/6(月) 17:31配信:東洋経済オンライン

テレビCMが家族をどう描いてきたのか、その変遷を解説します。

テレビCMのなかにも、さまざまな家族が登場する。
ドラマなどの番組コンテンツ以上に、時代の変化に敏感ともいえるCMクリエイティブは今、家族をどう表現しているのか。
ギャラクシー賞CM委員である汲田亜紀子氏に、ヒットシリーズや最近作を例に分析してもらった。
■主婦の本音を赤裸々に表現したキンチョウのCM

 「タンスにゴン 亭主元気で留守がいい」。1986年にキンチョウ(大日本除虫菊)が放ったこのテレビCMは、一世を風靡しコピーは流行語となった。



 時代はバブル前夜、夫は昼夜なくがむしゃらに働き、一向に家庭を顧みなくなった。
そのことに異議申し立てするのではなく、むしろ逆手にとって「だったら自分たちも好き放題しましょうよ」という、妻たちの開き直りの宣言だった。

 主婦の本音を堂々と、赤裸々に表現したこの言葉(コピー)が、女優・木野花の不敵な笑みとともに語られるのを見て、テレビの前の妻たちは溜飲を下げたに違いない。
令和の現在においてもこの言葉は普遍的な力を持ち、主婦同士の会話で慣用句のごとく使われている。

 CMは、視聴者の心の奥底にある想いに光を当て、絶妙なメッセージを投げかけてくる。
「家族」という身近でありふれた関係も、CMを通して語られると、新鮮な輪郭が浮かびあがる。

 そんなCMのなかに描かれている家族の姿を読み解いてみたい。

 東京ガスの「家族の絆」は、2008年から今も続くシリーズCMである。
料理をテーマに家族の物語を綴り、いずれも名作ぞろいだ。
「お弁当メール」(2010年)は息子のお弁当を作り続ける母の姿を描き、数々の賞を受賞した。
思春期の息子のために作るお弁当を、母からのメールに見立てているのが秀逸だ。

 応援、激励、お祝い、季節の移り変わりなど、毎日のお弁当に込めた母のメッセージ。
息子からの返信は、テーブルの上にそっけなく置かれた空になった弁当箱だけ。
それをおいしく食べてくれた証と喜び、来る日も来る日も弁当を作る母の姿に涙腺が緩む。
最後の日は自分にもお弁当を作り、味わいながらわが身をねぎらう母。
そして戻ってきた最後の日の弁当箱のなかに、ぶっきらぼうな息子からの感謝の手紙を見つけるラストシーンに、涙が止まらなくなる。
まるで一編の映画を観るようだ。



このシリーズが描く一つひとつのエピソードは、平凡な日常の風景である。
しかしその日常が繰り返されることによって、家族の絆は確固たるものになっていく。
料理をひたすら作り続ける行為がいかに強く家族を結びつけるものであるか。そのことが実感としてひしひしと伝わる。

■定点観測的な手法で家族の歴史を描く

 日本生命の「見守るということ。」(2018年)は、父の目線による映像とナレーションで、娘(清原果耶)の成長を綴る感動作だ。
カメラに向かい父の視線を見つめ返す娘は、笑ったり、泣いたり、はしゃいだり。
思春期には反抗的な態度をとることもあった。
そんな娘が、いまは大学の受験勉強に励む日々を送っている。
その日常をさらに見守り続ける父。



 あたかも父親が撮ったホームビデオのような娘の成長物語だが、すでに父は亡くなっており、娘を天国から見守っていると徐々にわかってくる仕掛けだ。
大学に合格した娘が空を見上げ、最後に天国の父に話しかける姿に心が震える。

 この2作品に共通するのは、視点を定めた定点観測的な手法で、家族の歴史を描いている点だ。
昨日と同じように見える普通の一日が、時間を積み重ねることで「家族の関係性」を構築し、揺るぎないものとなっていく。
膨大な時間をかけて作り上げられるのが家族であり、その一日一日のかけがえのなさに胸を衝かれる。それが家族の普遍的な価値でもあるのだ。

   数十秒という短い時間で、家族の歴史とその到達点を鮮やかに描くことができるのは、CMならではの表現と言えるだろう。

 「白戸家」は、もしかしたら日本で最も有名な家族の一つかもしれない。
ソフトバンクのCMにこの一家が登場したのは2007年。実に14年にわたって続く長期シリーズである。

 なんといってもお父さんが白い「犬」であることが類のないユニークネスだろう。
なぜお父さんが犬なのかについては、威張っているのに家族の順位が低いからなど、理屈はいろいろ考えられるが、理由づけにはあまり意味がなさそうだ。
「お父さんは犬である」というシュールな設定こそが、この家族を特別なものにしている。



 お母さん役の樋口可南子、娘役の上戸彩もいいが、長男はオバマ元米大統領に似たダンテ・カーヴァー。
もはや誰も「なぜ息子が黒人なのか?」と突っ込んだりしない。
「ヘンな家族」という不条理を織り込んで見ているのであり、「何でもあり」という強みを獲得している。
それをいいことに時々の旬の話題を取り入れ、情報をアップデートし続けるので、シリーズの鮮度が保たれるというわけだ。

 「何でもあり」なので、お父さんが声変わりして北大路欣也からガッツ石松になってもいいし、染谷将太と広瀬すずが父母の青春時代を演じたっていい。
祖父母や子どもたちの結婚相手も登場して家族は拡大し、いつの間にか出演しなくなった親戚がいても、それをとやかく言うのは野暮だろう。そもそもが融通無碍なのだ。

 おびただしい家族の物語を通し、スポンサーの新サービスやキャンペーンをタイムリーに取り入れるのはさすがである。
家族の面白いエピソードが楽しめるので、嫌みにならず飽きることもない。
「ちょっと変わった家族」は、あらゆる日常のエピソードを盛り込むことが可能な、最強のフォーマットなのだ。

■競合のauは異なるアプローチで展開

 これに対し競合のauは、異なるアプローチで人気シリーズを展開している。
桃太郎(松田翔太)、浦島太郎(桐谷健太)、金太郎(濱田岳)の「三太郎」が幼なじみという設定である。
友情を軸に若年層に照準を絞っているが、実はここにも家族が描かれている。
シリーズが進むにつれそれぞれがパートナーを持ち、並行して家族の物語が繰り広げられる。

 桃太郎はかぐや姫(有村架純)と家庭を築く。
金太郎も織姫(川栄李奈)と別居結婚中。
浦島太郎にも意中の乙姫(菜々緒)がいて、気のおけない仲間同士が成長し結婚しても、友情は続いていく。
血縁による縦の関係ではなく、友だちという横の関係の先にある家族の描き方は、ターゲット層の若者の気分にフィットしている。

 昔話の主人公がキーパーソンとなるので、誰がキャスティングされどんなカップルの組み合わせになるかなど、サプライズの要素がある。
加えて家族と友情という縦横の広がりがあり、見続けても飽きない優れた枠組みなのだ。



 大和ハウスのCMは、2011年からリリー・フランキーと深津絵里が夫婦役を演じている。
静かな夫婦の会話とともに、情緒豊かに映画のような世界観を紡ぎ出す。
そこから夫婦が暮らす「家」のあり方について、本質的なテーマが投げかけられる。

 はっきりと描かれてはいないが、二人には子どもがいない。
家族とはいえ血縁ではない他人同士である。
それゆえ、家族とは作り上げるもの、認めるもの、許し合うもの、という二人の逡巡や意志が浮かび上がってくる。
住まいを考えることは、すなわち「家族のあり方」を真剣に見つめることにほかならない。
「大人同士」の家族の姿を描き、そこに寄り添おうとする企業の姿勢がしっとりと伝わってくる。



■「ひとつ屋根の下」を彷彿とさせるジャンボ宝くじ

 さらに別のCMを取り上げよう。
2020年から始まった「ジャンボ宝くじ」には、長男・妻夫木聡を筆頭に、吉岡里帆、成田凌、矢本悠馬、今田美桜の5人きょうだいが賑やかに登場する。
それぞれのキャラが立ち、宝くじにまつわる家族の会話と愉快なエピソードが描かれ、文句なく楽しいシリーズである。



 1990年代の大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下」を彷彿とさせる、両親のいない兄弟という設定がポイントだ。
和気藹々とした大家族の物語に、郷愁やファンタジーを感じて惹き込まれる。

 長男(「CHONAN」と書いたトレーナーを着ている)を大黒柱に、楽しいながらもつつましい様子が健気で、応援したくなる。
「宝くじで一発当てたい」というみんなの願いが、嫌らしくなくほのぼのと伝わってくるのだ。

 これら2シリーズは、いずれも子どもや親がいない家族のありようが描かれている。
その不完全さや変則的なカタチにこそ、すべての家族が持っている「固有性」がシンボリックに表現されているように思えるのだ。

 そして、互いに向き合って生きようとする夫婦、明るく未来を夢見るきょうだいの姿が、商品・サービスの本質的な価値としっかり結びついているのがCMらしく見事である。

 ユニクロが今年発表したCMに、新しい家族像を示唆する作品があった。

 綾瀬はるかが花屋の店員を演じ、そこに訪れた女性二人に「もしかして記念日ですか?」と尋ねる。
そして二人の日常の生活が映し出され、一緒に暮らすカップルと知れる。
家族のダイバーシティをここまではっきりと描いたCMは、これまでなかったのではないだろうか。

 現代的なメッセージとともに企業姿勢が鋭く伝わってきた。
今後はこのような家族の多様性を描くCMが増えていくことだろう。



■制作側も細心の注意を払っている

 食品やトイレタリーのCMにおいても家族の描き方に変化が生じている。
「誰が料理を作るのか」「誰が家事をするのか」というジェンダー・テーマに結びつきやすいカテゴリーであり、「女性が行うのが当然」という文脈で捉えられると視聴者に違和感を与えてしまう。

 ゆえに、最近のCMは男性が料理を作ったり、夫が食器を洗っていたりする。
家族のあり方や役割を描くのは繊細で難しいテーマであり、制作側も細心の注意を払っている。

 そしてCMに描かれる家族は、時代とともにさらにその姿を変えていくはずだ。
CMが社会や時代を映す鏡と言われるゆえんである。
世の中の変化や空気感をいち早く捉え、本質を鋭く突くインサイトは視聴者の意識を刺激し、「亭主元気で──」のように記憶に残り続けるだろう。

 この先、CMが家族をどのように描いていくのか興味は尽きない。



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